逆マタハラのニュースをみて

一生懸命がんばって仕事をしたことはそんなにダメだっただろうか。 自分語り乙とか,だったらやめろよとか思うだろうけど,そんな元気もうないんだ。 私が存在した証をデータの海に流すくらい許してほしい。

新卒採用されて,入職した会社。配属されてからずっと混乱のなか仕事をこなしてきて3年目。それなりに認められるようになった。たしかに認められていると思う。都合のいい人材として。

 

産休育休予定の職員1人しかチームにいない状態で,私はその交代要員として配属された。 2ヶ月しかない引継ぎ期間のなか必死に業務を覚えて,もう戻ってこないからという先輩の言葉に泣きながら, 泣きながらだけど頑張ってと送り出すしかなかった。

 

当時の上司が報告書を書きたくないからという理由で,周りの空気よめという風潮にのまれて, 残業時間は月に30時間を超えないように打刻をごまかした。 サービスで会社にいた時間や家に持ち帰った時間もあわせて計算したら,月100時間を超えていた。

1人しかその仕事をできる人はいなくて,その仕事ができなければ会社全体の信用にかかわる中,助っ人は支社にしかいない。 支社の人は業務を助けてくださったが,本社とやり方が違った。その業務は経験がないとできない業務。 かみ合わない認識に迫る締切。支社の人のやり方が違うことは本社で大問題になり,結局アドバイスだけもらうことに。 経験者は木になるものではないのだから,育ててこなかった会社に経験者は存在しない。本社の担当者は1人しかいないという理由で,会社やチームがが怠ったツケを自分が払う形になった。

 

応援を依頼した他社の上司からは私の上司が出す予定だった業務依頼書が出ていないと怒られ,直属の上司が対応が分からないからという理由で,謝罪文を代わりに書いた。 他部署からは先輩が見落としたミスについて責められ報告書を書かされ,説明書を全て書いて他部署に説明にいって謝罪した。 当然日々の業務はミスがないようにしなければいけない。ミスをだせないプレッシャーのなかで,毎日毎日会社と自宅の往復しかなかった。 いっそ体が壊れてくれたら休めるのにと思いながら仕事をしていたら,人事から待ったがかかった。

 

あなたは支社で働くことができますと言われて,より自分が担当している業務に近いことをしている人のもとで修業をした。 支社にいってみてはじめてわかる業務フローの差。確かにこれでは認識がかみ合わないだろう。同じ業務をしていても業務フローが違うと,私が持っている業務は完了状態にできない。 何回説明してもわかってくれない支社の人との間に深い溝ができた。「お前は無能だ」という言葉とともに。

 

1年後,戻らないといっていた先輩が復帰した。お前は本社にもどってこいといわれてまた転籍になった。 元の上司はプレイヤーになりたいと管理職をおりて,本社の元いた部署は管理職不在の状態だった。 あまりの人員不足に人事が新人を複数採用して私の復帰とほぼ同時期に配属した。 先輩は時短と在宅を組み合わせないと両立ができないから,新人に業務を教えるのは私の名もない業務になった。

 

私が2ヶ月で必死の思いをしながら覚えた業務の半分ずつを,新人たちは半年かけて覚えていった。 成長をそばでみることは楽しかったが,同時に自分の中で膨らむ嫉妬心。

なぜ,私にはこの期間がなかったのか。

 

誰も悪くない中,自分の心が狭いのだと自分を責める日々が始まった。

 

時短や在宅で先輩が面倒を見切れない新人に,心を折らないように指導をするのは大変だった。 なんせ彼らも新卒で社会人経験がない。離席するし,業務中に眠かったら寝る。このことを指導すると不貞腐れることもあった。 寝落ちしてしまって変な時間にベットにはいったから眠いんですという言葉に,体調崩さないように早めに布団に入って仕事中に寝ないようにしようねという言い方はそんなにまずかっただろうか。

 

本社に復帰してから半年後,子会社の人が転籍してきた。 先輩のフォロー役をまかされたよと笑顔でいいながら。 その方とは仲良くしていたから,お仕事をご一緒できてうれしいですといった。 それは,まぎれもなく本心ではあった。それは間違いがないのだ。別にその人のことを慕っていなかったわけではない。

たかが2年目の人間が新人の面倒をみているのだ,仕事もこなせているのだ,という自己評価は思いあがりだったという現実をつきつけられた。 ど

んなに頑張っても会社から認められなかったみじめな自分の心から目を背けて頑張るしかなかった。

 

だって誰も悪くないのだから。

 

3人の面倒をみる毎日がはじまった。 彼らの仕事のファーストチェックをするのは主に私の担当になった。 ボロボロの仕事に,ミスが出ないように言い方を工夫しながら指摘を繰り返す日々。 自分の担当業務の締切を守るために残業時間が増えた。

 

その時には部署には新しい上司がいたが,その方も育休復帰後すぐの方だった。当然いないときも多い。 上司が不在時の電話もとり,取りつぎをする。他にも人員がいるのに電話に出なくて,とりあえず対応をする私のところに電話がかかってくるようになった。 余計に業務に支障がでるが,別の部署の同期に,あなたのところの部署電話でないから苦情がきてるんだよねちゃんととってよって言われて,申し訳ないと謝った。

 

だって仕方がない。上司にも先輩にも家庭があって子供がいて,休みをとらなければいけないのだから。

 

気づけば私の担当業務は,他の新人3人と比べて3倍近くの量に膨れ上がっていた。 新人の面倒をみなければ,業務時間内に終わらせられるが,新人の指導に時間がかかり,残業の常習犯。

残業するなという指示に,どうしていいか分からなくなった。残業しなければ,新人指導と自分の業務の両立は無理なのに。

もちろん,上は善意で言ったのだ。あなたの健康が心配だから。休んでくれと。あふれた業務はどうするのかという対案を提示せずに。

心身にはとっくに支障がでていたが,休みで他の人に迷惑をかけることが嫌だった。なにより長期休みでしんどかった思いをさせられた身としては,同じことを人にしたくなかった。 普通に休日で休んだ翌日に,トラブルが山積みになっている状態が続き,休むことが怖くなった。

 

休めない私は仕事の調整能力がない。そういう評価になった。

 

仕方がないのだ。育児は命がけなのだ。子供の命を預かっているのだからそちらが優先に決まっているだろう。

新人は仕事ができないものなのだ。育てなければいけないって自分が一番よくわかっているだろう。ツケを払わされたのだから。

私は会社の扱いは「新人」なのだ。だって3年目なのだから。その会社の認識は,この先も変わることはない。たとえ,自己満足で新人指導をしていたとしても。

 

だって仕方がない。誰も悪くないのだから。 悪いのは仕事の調整ができない私なのだ。

 

 

残業するな,無理するなじゃなくて, いつも頑張ってくれていてありがとう。無理させないように自分の仕事頑張るから。 って,言ってくれる人がほしかった。責めてほしくなかった。これは私のわがままなのだろう。

資格はあるから転職できなくはないけど,転職してもいまよりもひどいかもしれないと思うと,身が入らなかった。 なによりこの不景気に,転職が成功するとどうして言えるだろう。

 

もう頑張れない。 あなたが大事なのという言葉は,あなたは都合のいいコマとして大事なのということを分からされてしまったから。 待遇や給与で報いるということはしないとわかった。普通ってそんなに悪い評価かな。か。 せめて,本当に心から大事だと思ってくれるだけでもよかった。

 

 

ごめんなさい。さよなら。